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東京染小紋の技術が発達して広まったのは、江戸時代の初期で、武士の礼服の 1つである裃に細かな模様が染められるようになってからです。当時、江戸には 全国の諸大名の屋敷がおかれて、江戸の町に多くの武士が増え、江戸で小紋が 発達したのです。その結果、将軍家をはじめ、それぞれの藩は、武士の裃用に 自分たち藩だけの柄をきそって定め、シンボルとししました。ひと目でどこの藩の 武士かわかるようになりユニホームの柄という感覚になりました。 はじめ小紋は、男である武士の裃を中心に使われていました。しかし、江戸時代 も中ごろになると町人文化が発展し、町人の間でも着物などに小紋(こもん)を染め るのが流行り、男性だけでなく、女性にも広まりました。小紋は町人のふだん着や おしゃれ着として、人々に愛されるようになりました。そして、動物や植物を形どった 柄や縁起をかついだり、語呂あわせのあそび心のあったりする柄)もたくさん生まれ さかんに作られるようになったのです。 【代表的な東京染江戸小紋】 |
【東京染小紋】
江戸小紋は、江戸時代に諸大名が着用した裃の染めに由来する小紋です。
現在は伝統柄で基本的には単色染め絹しか使わないという特徴の「江戸小紋」と
それに比べて自由な創作が特徴の「東京おしゃれ小紋」の二種類に分類されてい ます。 1974年(昭和49年)5月25日に伝統的工芸品に認定されました。
江戸時代、諸大名が着用した裃の模様付けが発祥で、その後に大名家の間で
模様付けの豪華さを張り合うようになり、江戸幕府から規制を加えられ、そのた めに遠くから見た場合は無地に見えるように模様を細かくするようになりました。
結果的に、かえって非常に高度な染色技を駆使した染め物となったのです。
又、各大名で使える模様が固定化していきました。代表的な模様として 「鮫」(紀州藩徳川氏)、「行儀」「角通し」があります。(以上を「三役」という) |
すると 甲斐の武田藩「武田菱」・紀州徳川家「極鮫」・加賀前田家の「菊菱」といったように各藩が独自の「定め小紋柄」を制定して他藩の使用を禁止してゆきました。
武家の装束の中で次第と江戸小紋が形成化して行く一方で、上流階級である武士の衣装である小紋文様に憧れをもった裕福な町人を中心とする庶民の中にも衣類に小紋の柄が取り入れられるようになりました。
次第に商人が形成的な武士の小紋に対し、じゆうで洒落た柄を江戸の旦那衆が着始め、武士の定め柄のように自らの好みの定文様を持つ豪商も現れてきました。
「松葉」(徳川氏)
「御召し十」(徳川氏)
エビ柄やキリン柄も! 昭和のおしゃれ小紋小紋は生地全体に細かい模様が入っていおり、江戸小紋はくっきりとしたパターン柄と2~3色で刷られることが特徴です。もともとは大名の裃柄として使われていたものですが、庶民がこれをまねて、身近にある物を細かい模様にしてお洒落を楽しんだと言われています。 |
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